みなさんは、『違国日記』(ヤマシタトモコ著)という作品をご存知でしょうか。事故で両親を亡くした少女と、その伯母の同居生活を描いた物語です。 この物語のなかに、私の「供養」に対する価値観をガラリと変えてしまうような、切なくも温かい、あるシーンが登場します。
それは、亡くなった親の誕生日に、あえて「おめでとう」とお祝いをして、その死を少しずつ受け入れていく場面です。
私たちはつい、「亡くなった日(命日)」ばかりに気を取られ、悲しみに目を向けてしまいがちです。けれど私は、「生まれてきてくれた日(誕生日)」を笑顔でお祝いすることこそ、最高の供養ではないかと思うのです。
◎ 命日は「悲しみ」、誕生日は「感謝」
命日は、どうしても「いなくなってしまった寂しさ」を思い出す日になります。
逆に誕生日は、「この世に生まれてきてくれて、あなたと出会えてよかった」という、純粋な感謝と喜びの日です。
仏教でいう「供養」とは、残された私たちが、故人様を想って善い心のエネルギーを送ること。
「寂しいよ」と涙を流す供養も尊いですが、「生まれてきてくれてありがとう、おめでとう!」と、好物だったケーキを家族で食べる。そんな風に「その人が生きた証」を明るく称えることも、立派な、そしてとても優しい供養の形です。
◎形式よりも、あなたの「想い」が真ん中にあるお寺
お経をあげることだけが仏事ではありません。
故人様が大好きだった音楽を聴く、行きたがっていた場所へ行く、そして、誕生日に乾杯する。
◎あなたがその人を想って動くすべての瞬間が、お線香の煙のように、ちゃんとあの世の故人様へ届いています。
「命日に何もできなかった」と自分を責める必要はありません。「お誕生日おめでとう」の一言から始まる供養があってもいい。
◎観音寺は、そんなあなたの「生きた想い」に、どこまでも寄り添うお寺でありたいのです。
合掌