童話『白雪姫』をご存じの方も多いと思います。毒リンゴを食べて倒れ、ガラスの靴ならぬ「ガラスの棺」で眠り続けるお姫様。そこへ王子様が現れ、キスをすることで白雪姫が目を覚ます……という感動的なクライマックスです。
しかし、現代の視点でこの物語を読むと、ひとつの疑問が浮かぶことがあります。「意識のないお姫様に、同意なしでキスをするのはどうなのだろう?」実は、この物語を現代の医療的視点から捉え直してみると、まったく違った光景が見えてきます。キスではなく「人工呼吸と救命措置」だった?息をしていない人に息を吹き込み、命を呼び戻す——。王子様が行った「キス」は、現代でいう「マウス・トゥ・マウスの人工呼吸」や「AEDを用いた救急蘇生法」そのものだったのではないでしょうか。そう考えると、あのシーンは決してロマンチックなだけのものではなく、一刻を争う現場で行われた「命を救うための決死の救命活動」だったと言えます。
では、なぜ通りすがりの誰もではなく、「王子様」でなければならなかったのでしょうか?もしかすると王子様は、当時の最先端の救急医学を修めた、現代でいう救急救命士や看護師のような知識と技術を持った人物だったのかもしれません。誰しもが生死の境を彷徨う白雪姫を前にして手をこまねく中、適切な観察と処置ができる知識を持っていたからこそ、迷わず救命へと動くことができたのです。「知識」と「慈悲」が揃って命が救われる仏教には「慈悲(じひ)」という教えがあります。他人の苦しみを取り除いてあげたいと願う優しい心のことです。
しかし、心で「助けたい」と願う(慈悲)だけでは、目の前で倒れている人を救うことはできません。そこには、正しく状況を見極め、行動に移すための「智慧(知識や技術)」が必要です。「助けたい」という強い願い(慈悲)「正しく処置する」という知識と行動(智慧)白雪姫を救った王子様は、この「慈悲」と「智慧」の両方を兼ね備えた存在だったからこそ、命のバトンを未来へつなぐことができたのではないでしょうか。
現代を生きる私たちにとっての「王子様」現代の社会において、この「王子様」の役割を果たすのは医療従事者の方々だけではありません。AEDの講習を受け、街中で倒れている人に声をかけられる私たち一人ひとりもまた、誰かにとっての救世主(王子様)になれる時代です。物語の捉え方を少し変えてみるだけで、昔話は「命の大切さ」や「互いに助け合う心」を教えてくれる素晴らしいテキストになります。
もし皆様も街で困っている人や倒れている人を見かけたら、ぜひ温かい「慈悲の心」と「救急の知識」をもって、優しく手を差し伸べてみませんか。合掌