~お坊さんが本音で語る、位牌の本当の意味と、諦めない供養の形~
「お位牌って、本当に作らなきゃいけないんですか?」
最近、このようなご質問をいただくことが本当に増えました。 結論から、私の本音を申し上げます。 私は、故人様やご先祖様を供養するために、お位牌は「絶対に必要」だと考えています。
なぜならお位牌は、ただの文字が書かれた木札ではないからです。 故人様の「存在」と「生きた記憶」を、日常の中で丁寧に扱うための大切な象徴であり、遺された私たちがいつでも故人様に会うことができる“心の窓口”そのものだからです。
◆ 旅人も兵士も懐に忍ばせた、心のよりどころ
お位牌というと、重厚な仏壇の中にじっと安置されているイメージが強いかもしれません。しかし私は、もっと自由であっていいと思っています。小さく作って、まるでお守りのようにどこへでも持ち運んでいい。私はそう考えています。
実際、時代劇などを見ると、過酷な旅を続ける人や、これから命がけの戦に向かう兵士が、お位牌を大切に懐に入れて持っているシーンが登場します。明日をも知れぬ過酷な環境のなかで、お位牌は自分の「信仰」であり、何より「生きるための心のよりどころ」の象徴だったのです。
「心の中で思っていれば、形なんていらない」という意見もあります。 しかし、人間の記憶は悲しいほど儚いものです。いくら心で強く思っていても、目に見える形がないと、日々の忙しさの中でいつかは薄れていってしまう。
そして、いつの間にか忘れてしまうということは、その人が「それだけの存在だった」と言い切ってしまうこと。それは、あまりにも切ないと思いませんか。
◆ 介護施設での衝撃。江戸時代の位牌を前に、私が震えた理由
私はかつて、介護施設で働いていた経験があります。 当時、入居者様の約3割が、お部屋に小さなお仏壇やお位牌を置いて、毎日とても大切にお参りされていました。
ある日、ある入居者様の介護度が上がり、寝たきりになられました。 身の回りの整理が必要になり、ご家族(保証人)の方から、私にこんな依頼があったのです。 「このお仏壇とお位牌を、精抜き(魂抜き)供養して処分してほしい」
私はまず、「お付き合いのある菩提寺様にご相談されてみては」とお伝えしました。しかし、どうやらそのお寺に断られてしまったようで、途方に暮れたご家族から、巡り巡って私がその精抜き供養を引き受けることになったのです。
その時、お位牌をお預かりして、私は言葉を失いました。 裏面を手に取って見ると、そこにはなんと「江戸時代」の年号が刻まれていたのです。
江戸、明治、大正、昭和、平成、そして令和……。 何代にもわたって、何人もの子孫がバトンを繋ぐように手を合わせ、命の繋がりを大切に守ってきたお位牌。それを、この介護施設の片隅で、ただ「邪魔になったから」と簡単にお焚き上げ(処分)してしまうのは、あまりにも忍びない……。
激しい葛藤の末、私はそのお位牌を処分することができませんでした。その入居者様がお亡くなりになり、施設を退所されるまでの間、そっと私のお寺の位牌堂でお預かりし、毎日の供養を続けさせていただきました。あれは、お坊さんとして、一人の人間として、どうしても無視できない命の叫びだったのです。
◆ 変わりゆく供養の形。でも、これだけはお願いです
最近は、空き家になった実家にお仏壇やお位牌がホコリをかぶって置き去りにされるくらいなら、心を込めて精抜き供養をしてほしいと思います。時代の変化として、それは仕方のないことかもしれません。ただ、もしお位牌をなくすという選択をされるにしても、せめて「過去帳(記録帳)」には故人様のお名前をしっかりと残して差し上げてほしいと、切に願います。
葬儀のときの「白木の位牌」のまま何年も過ごされる施主様や、最初からお位牌を作らない選択をされる施主様も増えています。その一方で、一度は作らないと決めたものの、四十九日を過ぎてから「やっぱりお位牌を作って開眼供養をお願いします」と、涙ながらに来られる施主様もいらっしゃいます。
供養の形は、あなたの思い次第です。私たち宗教者が「こうしなさい」と強制することは絶対にありません。もちろん、お寺としての案内やお願いはしますが、決めるのはあなたです。
しかし、これだけは最後にお願いさせてください。 「これまで一緒に生きて、あなたを全力で育んでくれた大切な家族の供養を、お金(お布施)のことだけで諦めないでほしい」のです。
もし、経済的な問題でお困りなのであれば、どうか一人で抱え込まずに、まずは私にご相談ください。形や金額という枠を取り払って、あなたと故人様に一番寄り添える供養の方法を、一緒に考えていきましょう。お寺は、そのためにあるのです。
どんな形であっても、故人様を想う温かい供養の灯が、これからも美しく紡がれていきますように。
合掌
#お位牌の意味 #永代供養 #お寺のコラム