学生さんの素直な疑問に和尚が答えます。
「あまり交流のなかった親戚の葬儀。正解は『泣くこと』ですか?親に言われて嫌々参列していますが、こんな不真面目な気持ちで座っているのはイケないことでしょうか?」
先日、ある学生さんから息をのむほど素直で、率直なご質問をいただきました。
結論から申し上げます。
「そんな気持ちで参列しても、100%責められることではありませんよ」
実は、私自身も学生の頃はまったく同じでした。
「いつ終わるのかな」「早く帰りたいな」と、退屈そうに数珠を握りしめていた一人です。
今思えば申し訳ない気持ちもありますが、場数も踏んでいない若い頃に、最初から完璧な供養の心を持つことの方がむしろ不自然なのかもしれません。
💡 悲しむ必要はありません。「そこにいる」だけで、あなたの勝ちなのです。
では、悲しくもないのに参列する価値はあるのでしょうか?
私は、「参列すること」そのものに、想像以上の大きな価値があると確信しています。
悲しむためではなく、その「空間の空気」を体験すること。それだけで、教科書では絶対に学べない最高の人間学が見えてきます。
- お葬式という人生最大の儀式がどう進むのか
- 人が亡くなった時、周りの大人たちがどう団結し動くのか
- 普段は見せない大人たちの真剣な表情や、命に向き合う覚悟
最初から完璧な参列者になる必要なんてありません。「大人たちの社会勉強の現場を観察しに来た」という姿勢で十分なのです。
🌿 嫌々の参列が、未来のあなたを救う「隠れた財産」になる
若いうちにこの場を一度でも体験した人と、回避してきた人とでは、大人になった時に**「圧倒的な差」**となって現れます。
将来、あなたが大切な人を本当に見送る時。あるいは社会人としてお悔やみの場に立つ時。嫌々でもそこに座っていた過去の経験が、あなたに「堂々と振る舞える力」と「他人の痛みに寄り添う優しさ」を与えてくれます。
「悲しくない自分」を責める必要は一切ありません。
重い足を運び、そこに座った。その行動だけで、あなたは自分自身の未来へ素晴らしい種をまいています。
「あの時、参列しておいて本当に良かった」
そう気づく日が、あなたにも必ずやってきます。
観音寺では、どんなに些細な疑問やモヤモヤでも、あなたの言葉に心を寄せて傾聴いたします。いつでも気軽にお話ししに来てくださいね。
合掌
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