映画『チェンソーマン レゼ編』を鑑賞し、この作品が描く世界が、現代社会の抱える根深く、そして凄惨な現実を映し出しているように感じました。それは、私たちが目を背けがちな、子どもの貧困と搾取という人権に関わる重いテーマです。
物語の主人公であるデンジ君は、極度の貧困ゆえに学校に通えず、幼くして社会の暗部に組み込まれてしまいます。彼は「チェンソーの悪魔」と契約したことで、マキマ率いる国の機関に所属し、悪魔を狩るという命がけの任務を課せられます。わずか16歳という、本来なら多感な青春を謳歌すべき年頃にもかかわらず、彼の日常は「生きるための労働」によって支配されているのです。しかも、その搾取の構造が国の機関という形をとっている点が、問題の根深さを際立たせています。
そして、デンジ君の前に現れるヒロイン、レゼもまた、同じく不遇な境遇の持ち主です。彼女は「爆弾の悪魔」として、軍事兵器の如く幼い頃から訓練され、人間としての教育や生活を奪われてきました。彼女もまた、デンジ君と同じく、大人の都合や国家の思惑によって人生をねじ曲げられた子どもです。
レゼがデンジ君に近づいたのは、彼の心臓であるチェンソーの悪魔を奪うという冷酷な任務のためでした。彼女は、その任務遂行のために、高度な言語力や学習能力、そして相手の心を掴む諜報技術を身につけさせられていたはずです。デンジ君の心を奪ったのも、当初はすべて計算の上だったのかもしれません。しかし、純粋で不器用なデンジ君と触れ合ううちに、レゼの凍っていた心が溶かされ、本当に彼を好きになるという、計算外の感情が芽生えます。
しかし、与えられた「任務」と、新たに生まれた「愛」との葛藤は、レゼに悲劇的な選択を迫ります。彼女は一度は冷酷非情に任務を遂行し、デンジ君を倒すために殺戮を繰り返します。しかし、デンジ君に助けられ、彼と一緒に逃げる道を選ぼうとします。にもかかわらず、結局はマキマさんの介入により、二人は再び会うことを許されず、悲しい結末を迎えます。彼らが望んだささやかな幸せ、普通の青春は、社会の大きな力によって容赦なく打ち砕かれてしまうのです。
この作品が訴えかけるのは、貧困や家庭環境により、学校教育という人権の保証を受けられなかった子どもたちの現実です。彼らは礼儀や社会性を学ぶ機会に恵まれず、大人たちからは「柄の悪い子」「社会の落伍者」と見なされがちです。しかし、本来、全ての子どもたちに平等に教育を受ける権利を保障し、自立への夢を持たせ、それを支援する社会こそが、私たちの理想とすべき姿ではないでしょうか。
レゼの声優を務めた上田麗奈さんは、他にも『鬼滅の刃』の栗花落カナヲ役や、『タコピーの原罪』のしずかちゃん役を演じられています。この三人には、生い立ちや境遇に恵まれなかったという共通点があります。しかし、その後の人生は、三者三様です。
レゼ:大人の思惑に翻弄され、愛と任務の狭間で悲劇的な結末を迎える。
カナヲ:人との温かい「繋がり」と「愛情」に触れ、人間性を取り戻し、戦う意味を見出す。
しずかちゃん:残酷な現実に直面しながらも、他者との関わりの中で、生きる希望や優しさを見つける。
この違いは、彼らがその後、誰と出会い、どのような環境に置かれたかによって生じています。人は、生まれた境遇を選ぶことはできませんが、その後の出会いと環境によって、いくらでも変わることができるのです。
この『チェンソーマン』が突きつける厳しい現実は、「生きづらさ」を抱える全ての子どもたちを見放さず、教育の機会と温かい人間関係を提供し、自立を支援する社会づくりの必要性を、私たちに強く訴えかけているのではないでしょうか。お寺として、全ての命が人として尊重される平和な社会の実現に向け、この問いかけを心に留めていきたいと思います。
※考察対象作品(主要引用元): 映画『劇場版チェンソーマン レゼ編』(原作:藤本タツキ/制作:MAPPAなど)
比較言及作品(副次引用元): 漫画『鬼滅の刃』(原作:吾峠呼世晴)、漫画『タコピーの原罪』(原作:タイザン5)
「本コラムは、映画『劇場版チェンソーマン レゼ編』(原作:藤本タツキ/制作:MAPPAなど)の物語設定を引用・考察したものであり、営利を目的としたものではありません。」