「木魚」と聞いて、どんな姿を思い浮かべますか?
おそらく、多くの方が円形の木製仏具を思い浮かべるでしょう。読経の際に、静かに、そして規則正しく打ち鳴らされるその音。あの音には、私たちの心を整える力があります。
でも、木魚にはもっと深い物語があるのです。
私は福井県の大本山・永平寺で、その原型とされる仏具に出会いました。僧堂に置かれていたそれは「梆(ほう)」、またの名を「魚鼓(ぎょく)」と呼ばれるもの。魚の形をしていて、顔は龍に似て、口には珠を咥えている。まるで物語の中から現れたような姿でした。
この魚鼓には、中国の伝説が息づいています。魚は一日中、目を閉じないとされており、「眠気に打ち勝つ」象徴とされているのです。口に咥えた珠は煩悩を表し、魚の背を叩くことでその煩悩を打ち払う――そんな意味が込められています。
今でも、私が修行した永平寺や、黄檗宗の本山・京都の萬福寺では、魚鼓が食事の合図として僧堂に響き渡ります。修行の場では、時間を知らせるだけでなく、心を律する大切な役割を担っているのです。萬福寺では、魚鼓を模したキーホルダーも販売されていて、仏教文化が身近な形で親しまれているのも嬉しいことです。
時代が進むにつれ、この魚鼓は丸く簡略化され、今の木魚へと姿を変えていきました。木魚もまた、読経中に眠らぬよう、心を引き締めるために打つ――そんな意味が込められています。
そして、木魚は主に愛知県一宮市の職人の手によって作られています。しかし、近年は後継者不足により、その技術が失われつつあるという話も耳にします。
ここで、ひとつ問いかけたいのです。「これは仏教徒にとって善いことかどうか――それを問う必要はあるでしょうか?」大切なのは、善し悪しではなく、私たちがこの文化をどう受け継ぎ、守っていくかということ。木魚の音に耳を澄ませるとき、そこには先人たちの祈りと智慧が込められていることに、きっと気づくはずです。
その音が、私たちの心に響き続けるように。