皆さん、こんにちは。今回は「愛語(あいご)」という言葉について、少しお話しさせていただきます。これは『修証義』というお経の中に出てくる言葉で、「お互いを自覚し、他人を思いやる心」を意味します。仏教ではとても大切な教えのひとつです。「思いやり」と聞くと、今さらそんなこと言われなくても分かっているよ、と思われる方も多いかもしれません。でも、私たちは本当に、いつも思いやりの心で人と接しているでしょうか?
誰でも機嫌がいい時は、自然と笑顔で人に優しくできます。でも、機嫌が悪い時はどうでしょう。相手のちょっとした言葉に腹が立ったり、つい辛く当たってしまったり、時には喧嘩になってしまうことありませんか?最近のニュースを見ていると、「嫌なことを言われた」「ムカついた」という理由で、暴力や犯罪にまで発展してしまう出来事が報じられています。そうした話題に触れるたび、私は本当に胸が痛みます。
さて、少し私自身の話をさせていただきます。
ある日のこと、本堂でお勤めをしていた時のことです。いつの間にか木魚の音が速くなり、力んで大きな音が出てしまい、リズムも乱れてしまいました。聞いていても落ち着かない、そんな木魚の音になってしまったのです。
なぜそうなったのか──それは、その日に腹が立つことがあり、機嫌が悪かったからです。私は木魚に八つ当たりをしていたのです。その時、ふと思いました。「木魚には、自分の気持ちは隠せないなぁ」と。どんなに平静を保っているつもりでも、木魚の音には心の乱れが表れてしまう。木魚は、まるで心の鏡のようです。
それ以来、私はお勤めの前に必ず坐禅をして、自分の感情と向き合い、心を落ち着けてからお経を読むようにしました。そうすると、木魚の音もお経も自然と整い、なんとも言えない爽やかな気持ちで夕方のお勤めができるようになりました。
私たちは、心を平静に保ち、相手のことを思いやる気持ち──「愛語」の心を持つことが大切です。
それは時に、自分の気持ちを抑える辛さもあるかもしれません。でも、相手を思いやることで、相手がいい気分になり、自分もまたいい気分になります。そうすると、今まで見えなかったものが自然と見えてくるようになります。
それが、「愛語」の実践なのです。
どうか皆さんも、今日から「愛語」を心がけてみてください。まずは、木魚の音が優しく響くように──自分の心を整えることから始めてみましょう。
合掌