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~大切な人を偲ぶ時間に、少しだけ自分を労るという供養~
「忙しい」日々の中で、ふと立ち止まる瞬間を
九月以降、私自身もお寺の行事や研修、法務に追われる日々が続いております。 遠方へのご奉仕も多く、お寺を空ける時間が増え、家族には寂しい思いをさせてしまうこともあり、心苦しく感じることもございます。
「忙しい」という字は、「心を亡くす」と書きます。 まさにその通りで、忙しさに追われると、心の余裕がなくなり、人との関わりや自分自身の生活を見失いがちです。けれども、仕事や役割があるからこそ、私たちは日々の安定を得て、生きる力を保てるのもまた事実です。
喪主の「忙しさ」が教えてくれること
ご葬儀の喪主を務められる方は、まさにこの「忙しさ」を体感されることでしょう。 故人様と静かに向き合う間もなく、手配・準備・連絡・支払いなど、短期間で多くのことをこなさなければなりません。最近では、こうした負担を減らすために、儀式を簡素化するご葬儀も増えてきました。 それも一つの選択です。
ただ、この「忙しさ」には、もう一つの意味があります。
忙しさが、悲しみから守ってくれることもある
大切な人を亡くした時、深い悲しみに沈み、何も手につかなくなることがあります。 食事や入浴すらおっくうになるほど、心が動かなくなることもあります。そんな時、喪主としての務めが「やらなければならないこと」として目の前に現れることで、意識が外に向き、生活のリズムを保つ助けになることがあります。忙しさが悲しみを癒すわけではありません。 でも、悲しみに沈みすぎないように、そっと支えてくれることもあるのです。
「卒哭忌」という、先人の知恵
四十九日や百箇日などの法要は、単なる儀式ではありません。 特に百箇日は「卒哭忌(そっこくき)」と呼ばれ、「泣き叫ぶような悲しみから卒業する日」とされています。これは、故人様を丁寧に弔いながらも、残された私たちが「生きること」をおろそかにしないための、先人たちの知恵なのだと思います。
供養とは、今を生きる人を大切にすること
忙しい日々の中でも、ふと立ち止まり、ご自身の心と体を労る時間を持つこと。 今を生きるご家族との時間を大切にすること。 それもまた、故人様への供養につながるのではないでしょうか。
「忙」の中にある「生」を見つめ直す。 そんな視点を、皆様と分かち合えたら幸いです。