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私は得度式で師匠から戒名を授かりました。戒名は「晃嗣」ですが、「戸籍名と同じではないのですか?」と言われますが、いわゆる「お寺の子」として生まれましたので、得度して戒名を授かることを前提に名前を授かることも多い。戸籍では読みは「晃嗣(こうじ)」ですが、戒名は「晃嗣(こうし)」となります。ここで名前自体を変えてもいいのですが二足の草鞋ではありませんが、戸籍上は「○○」なのに僧侶になると「□□」では切り替えが難しいし、そのうち「あれ?どっちだっけ?」となります。

そうなると戸籍上も名前を変えればいいと思う人もいますが、そうなると家庭裁判所に行かねばならないのです。判決自体はすぐに終わるのですが、そのためだけに裁判所に足を運ぶのは時間もないしやや面倒と思いませんか?だったら、最初から得度を行うことを前提に名前を授けた方が良いと師匠や家族は考え、私は「晃嗣」にしたらしいです。(他にも姓名判断もあったそうです。)
兎にも角にも、得度をした私は戒名を授かり、さらには道号も授かりました。私の場合は「大鐵(だいてつ)」という道号を授かりました。

道号について解説しますと元々、寺院名や山号を付けたとされておりますが、僧侶の性格や特徴を表すために授かったとか伝承には諸説あります。道号で有名な僧侶は「一休さん」ですが一休さんの僧侶名(戒名)は「宗純」です。道号と合わせて「一休宗純」となります。

名前を授かったからと言って、いきなり行いが僧侶になったわけではありません。修行を重ね徐々に意識が僧侶して芽生え、自覚し、いつの間にか僧侶となっていくと思います。曹洞宗の開祖道元禅師様は正法眼蔵随聞記で「霧の中にいれば衣湿る」と表現しております。僧侶として修行を重ねるうちにいつの間にか僧侶になっている。ただ、私は自覚してはいませんが、施主様から色々なお言葉を頂きますとだんだん僧侶としての自覚はついてきたと思います。まだまだ、どんな僧侶が良いのか答えは出ておりませんが、皆様とご縁を築き成長していきたいと思います。

合掌

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